2011は日本人であれば忘れる事が出来ない記憶に深く残る年になりました。

3月11日の震災当日、東京にいた僕と川島くんは新しく引っ越したばかりのマンションのリビングを改造したスタジオで夕方からスタジオの配線やチューニングをする予定でした。結局、その日の作業は中止して都心で働く弟が帰宅できたかなど、家族の安否の連絡を取りながら、テレビの前で呆然として過ごしました。
幸い、川島くんのご両親や親族(岩手県の方です)、僕の父方の親戚(岩手県久慈市、宮城県仙台市)は生活の不便こそあったものの、無事でいてくれました。
震災当時、3月末にはお台場のZeppでオールナイトのイベントが控えていて震災翌日から数日間リハーサルスタジオを抑えてありましたが、この状況でライブをやるなんてとても考えられずにいて、主催者との間に入ったマネージャーと頻繁に連絡を取っていました。
「どんな気持ちでステージに立てば良いのか分からないよ。」
「主催者はこんな時にこそ音楽の力を借りたいって言ってますが。」
「みんなそれどころじゃ無いでしょ!」
「チャリティーイベントに切り替えるそうですが、どうなんでしょうね?」
「電車もまともに動かない状況でダンスミュージックなんてやっていられないよ!卓球さんや、イシイ君がどうするのか知らないけど、オレは出来ないよ!」
きっとみんな同じようなやり取りをしていたと想像出来ます。

そんなやり取りを数日間した挙句に結局イベントは中止になりました。
年下のマネジャーも辛かったと思います。でもその時、中止になってホッとしている自分がいたのです。なぜホッとしたのかは、今でも自問自答です。

それからが僕らにとっての試練の始まりでした。
簡単に言えば、何をしたら良いのか分からなくなってしまったのです。
当初の予定では2011年はアルバム制作の為に一年間スタジオにこもる事になっていました。アルバムのリリースまでライブ一本やる事無く。音楽的には2010年の春にリリースした前作で完全にやりきってしまっていたのです。だからこそ、じっくり取り組もう、もう一度振り出しに戻って新人になろうと、スタジオも引っ越したぐらいだったのです。

一方、被災地の状況に目をやれば、音楽にどんな機能性があるのか?必要な事はこんな事では無いのではないか?ずっとレコーディングスタジオにいて良いはずが無い!?寄付だけしてれば良いのか?現場に行ったから良い事なのか??そもそも自分は人の力になろうと思って音楽を作ってきたじゃないか!音楽を作っていて何がいけないんだ!!などと考えてしまう日々。
ブログの更新も簡単には出来なくなっていました。
そんな葛藤と共に半年は右往左往していたと思います。

そして、紆余曲折あった結果、夏フェスに数本出演するのですが、そこで出会うオーディエンス、沢山のファン達に僕らは結局救われてしまうのです。
ステージの上に立つと感じるんです。人が音楽に何を求めているのかを、痛い程体感してしまうんですね。そのバイブレーションって本当に凄い。全身がビリビリするんです。
その時、エンターテイメントとしての音楽の大切さを再認識して、短い夏を終えました。

年末の東京、大阪のワンマンを経て、今、僕達は送り手としてまた成長する事が出来ました。幾つかの事を乗り越えて、幾らか大人になれたと思います。新しいステージに立っている感覚が確かにあります。

大切にしてきた家を全て流された人、愛して止まない家族を失った人、仕事を失った人、何も失わなかった人。個人差は大きくあっても、それぞれの様々な思いが少しづつ少しづつ、日常に帰って行こうとしています。長い時間を掛けて忘却の彼方に。緩やかに時間を経て、きっとあの日の日常は誰にも帰って来ます。

あまり誰も言ってくれないこと。
忘れない事は大切。でも忘れる事も素敵な事だと思うのです。ただただ、過去に縛られて生きる事なんて不幸です。

2012年は日本にとって間違いなく素晴らしい年になるでしょう。
復興なんて陳腐な言葉は使いたくありません。
人は幸せになりたいと願って生きてるものなのだから、だからこそ2012年の日本は必ずに幸せにならなければならない。
BOOM BOOM SATELLITESが、その為の一役を買って出ましょう。

僕達の故郷、東北のために、そしてこの国のために愛を込めて。

2011年12月31日
中野 雅之